HSPで看護師を目指しているあなたへ。
正直言って、HSPが看護師になってどうなるのか…不安に思っていませんか?
- 精神科勤務を経験
- 仕事上どういうことが苦手だったのか
- 療養科に切り替えてどうなったのか
こんな具体的なことがまとめられた貴重な体験談になっています。
これから看護師を目指すHSPさんはぜひお役立てください。
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HSPの看護師体験談『ホタルボシさんの場合』
私は41歳。中学3年生の息子と小学6年生の娘をもつ母親です。
私自身HSPであり、看護職を続けるうえで様々な工夫が必要でした。
ですからきっとこの機会に、同じように悩みながら看護職に従事されている方々へお伝えできる事があるのではと思います。
この内容が貴方の働き方に役立つことを祈っています。
① 精神科病棟の話
私は20歳で看護師資格を取得し、最初に2年間精神科病院に勤務しました。
(奨学金利用によるお礼奉公がそこでした)
そこで最初に苦しんだのは申し送りです。私はこれができませんでした。
複数人に囲まれて、自分の言葉を待たれる状況が緊張で耐えられないのです。
その状態は何カ月たっても変わらず、私は何とか乗り越える方法を考えます。
そこで翌朝申し送る内容を紙に全てメモし、それを台本の様に読むという事を始めます。
しかし、その方法も長くは続きませんでした。
夜勤中、そのメモを作る事に必死になり、仕事に集中できなくなり始めたのです。
夜が明けると、また皆に囲まれる恐怖の時間がくる。
いつしかそのことばかりに囚われる様になりました。
HSPは、自分の気持ちを抑え込む傾向があります。
私は普段から人前に立つことが苦手でした。それを仕事の場面でも持ち込んでいたのです。
申し送る以前に、普段から『思いを言葉にする訓練』が必要だったのかもしれません。
② 脳神経外科病院の話
その後お礼奉公が終わり、私は脳神経外科病院へ勤務しました。
まだ2年目の新人でしたから、技術を身に着けるため救急科に配属されました。
救急の現場は一刻を争います。
ですから、そこでは申し送り時間は極力短時間で済ませる事が前提でした。
スタッフも情報収集は電子カルテで各自で行う。口頭の申し送りは少なく、これは随分と救われました。
申し送り地獄から抜け出せた喜びを感じた一方、今度は別の困難に当たります。
その場所は連日激務。心臓マッサージをしている後ろで、救急の患者さんが運ばれてくる。
その横で手術を終えた患者さんが戻ってくる。その患者三人ともが自分の担当だったりします。
誰にどの点滴をいくのか。医師から指示が一気に出されます。
一瞬の気も許されない状況下で、私は余裕を失い結局1年で辞めてしまいました。
その当時は一人暮らしをしていました。生活費が必要だったので、とりあえず近所の療養型病院へ就職することに。
当時の状況はというと採血や点滴は、患者さんや周りのスタッフに見られていると、途端に手が震えて緊張で失敗してしまう。
申し送りは相変わらず、苦戦。いつしか心電図のモニター音が、帰宅後も頭から離れない様になりました。こうなってくると、家でも緊張が取れません。
HSPの看護師が仕事を続ける上で考えたこと
その後、結婚し退職。一旦子育てを経て30歳で現場へ復帰します。
その時には私には家族がおりましたから、以前の様な働き方はできないと思いました。
HSPは物事を深く処理する特徴があります。
様々なやらねばならない事が重なった時、ひとつひとつに意識を向けてはパンクしてしまいます。
手を抜くという事も下手です。
しかしもう、ひとりで背負って潰れるわけにはいかない。こんな私が看護師を続けるために必要なことは?この時に、現状を整理します。
- 申し送りができない
- 採血等の手技を人に見られたくない
- 多忙な病棟は避けたい
この3点は、私が看護師を続ける上で考えねばならない事でした。
③は避けられても①②はどうにもならない気がしますね。
しかし私はこれらを満たす働き方へとシフトチェンジしていったのです。
① 申し送りができない
まずは申し送りをしなくて良い状況を作ります。
申し送りは基本、担当患者さんを受け持つスタッフが行います。
なので、私は担当者を持たないフリー業務で、スタッフの手伝いに徹する働き方をしようと決めます。
フリー業務ならその時々にある処置を行う感じです
病院側は、当時正社員の募集のみ。
しかし、私はこの働き方を提案したのです。
短時間勤務で、担当者を持たずフリー業務。この提案は通りました。
② 採血等の手技を人に見られたくない
これに関しては、患者さんを選びました。
つまり、療養型病院は寝たきりで意識の無い患者さんが多く、そこなら患者さんに採血を直視されるプレッシャーはありません。
反対に、外来等は無理です。
話のできる患者さんに注射をするのは、私にとっては難しい。
何を言われるかわからないと思うと緊張してしまうので。(整形外科は特に無理)
③ 多忙な病棟は避けたい
これに関しては、救急科の経験後は療養型は随分と精神的に余裕が持てると感じました。
急性期では患者さんの入退院が激しく、毎回患者さんの状態把握に時間を要します。
しかし療養型は同じ患者さんを見続けるため、知っている分穏やかに対応ができます。
また、延命の有無は非常に重要な問題でした。
急性期では延命治療の場面が多く、呼吸が止まれば呼吸器の用意。
病状が悪化すれば手術の準備など、緊張は続きます。
しかし、私が勤めた療養型病院は、入院時の段階で「延命処置はしない」とサインを頂く場合がほとんどです。
その意味でも、患者さんにとって最期の入院場所として、私自身丁寧に向き合う事ができました。
HSP看護師としてのその後の働き方について
そんな訳で復帰後は、その働き方を通しました。
病院からは何度か正社員になることを要望されましたが、自分はHSPであることを伝えると、このままの働き方を了承して頂けました。
フリー業務としての働き方は、HSPである特質が遺憾なく発揮されました。
周りの人たちの顔色や表情を敏感に察知する事ができるため、今相手が何に困っていて、何を手伝ってほしいのか瞬時にわかりました。
優先順位も瞬時にわかるため、困っているところに私が居るという状態になり、
私が出勤するたびに
「貴方がいてくれてよかった」
「今日は〇〇(私)さんがいる日だ!ラッキー!」
などと言われるようになりました。
気のきついスタッフや派閥問題もありましたが、自分はそこに飲まれない様に、距離を取る事も意識しました。
自分がもし受け持ち患者を持つと、看護計画をこまめに立てないと気が済まなかったかもしれません。
自分が担当となると性格上、完璧主義となり妥協が難しい。
けれど一歩引いて、持たない選択をとる事で他スタッフのカバーとしての役割を果たすことができました。
そんな訳で振り返ると、正社員として働いたのは約5年。
残りの12年は短時間の療養型のパート勤務(最初は3時間から。以後、5~7時間と状態に応じて変化)。
看護師としては、合計17年働いてきました。
そして、今年看護職を引退しようとしています。
看護師以外にやりたいことが見つかったのです。
今まで何度も看護師を辞めたいと思ったことはありました。ですが辞められなかったのは、看護師という肩書に執着していた面が大きかったのだと思います。
HSPは自己肯定感が低いと言われますね。
ココjobはHSPさんに理解があるだけでなく、本業として医療分野の就職支援をしています。
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まとめ:HSPが看護師を続けてきて…
私自身、自分が看護師を辞めてしまったら「終わりだ」とすら思って生きてきました。
「白衣の天使」という大義名分ある肩書で自分を保ってきたのだと思います。けれど今やっと、こんな自分を受け入れる事ができました。
辞めると伝えた時、同僚全員に止められました。涙を流す人もいました。
改めて、自己評価の低い自分を感じずにはおれません。
ダメな自分だけでは決してなかったのです。同僚の表情がそのことを教えてくれました。
貴方もきっと大丈夫。HSPという特質は生かせば輝きます。
環境を選び、選択した道を進んでください。私はHSPの看護師の皆さんを心から応援しています。
以上、ホタルボシさんの看護師体験談になります。
ホタルボシさんはご自身のnoteも運営しています。
これからのホタルボシさんの生活に興味がある方はぜひご覧くださいね。
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