「実際に海外で生活をしているHSPさんはどんな感じなんだろう?」
そんな疑問にお答えします。
HSPさんの海外生活。今回は体験談を書いていただきました。
HSPアドバイザーのRyotaです。
実際に海外で暮らしているHSPさんも多数いらっしゃいます。
今回は、ドイツで暮らしているHSPさんのお話です。
- 海外生活に興味がある
- どのような経緯で海外生活になったのか知りたい
という方にピッタリな内容です。
ぜひお役立てくださいね。
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1.これまでの経歴と、海外に行くまでの流れ
初めまして。こまどりと申します。ドイツ在住の58歳女性、ドイツ人の夫と二人暮らしです。
私がHSPだとわかったのは、わずか3年前のことです。
診断では、HSPとHSEが強度、HSSが中度、外向型のHSPです。
今までの経歴
- 小学校高学年から、習っていたピアノに夢中になる
- 大学で音楽学を専攻
- 卒業後、音楽教室ピアノ講師、通信教育添削講師などに従事
- 並行して社会人課程で2年間ピアノを専攻
私の人生の夢は、「心に鳴る音楽を思うままに表現できるようになる」こと。
機能不全家庭に育ったので、「心を許せる人と人生を共にする」ことでした。
音楽を自由に表現できるようになることと、経済的自立をどう両立できるのかわからず、模索し続けていました。
26~33歳 留学準備・留学時代
- 初めて海外に行き、音楽夏期講習会を受講
- 1年間の奨学金を得て、オーストリアに留学
- 個人的な援助を提案して頂き、留学延長のきっかけになる
- 父の退職金から援助してもらい、留学を続ける
- 30~43歳 サロンオーケストラ・ピアニスト
- 31~33歳 旅行ガイドアシスタント
- ピアノ声楽伴奏ディプロム取得
学生を終えた時、知人の勧めでオーストリアの夏季音楽講習会に参加してみました。
この時かつてないほど元気な自分に気づき、留学を考えるきっかけになりました。
留学初めはトラブルが多く、奨学生延長の可能性を探していました。
奨学生期間が終わる頃、地元から私的に2年間援助するというありがたい申し出を頂きます。
しかし親は、みっともないから断れ、という意見でした。
ちょうど父が退職した年で、父の退職金から弟と一緒にある程度まとまった金額をもらい、留学を延長できました。
これが人生の大きな転機になります。
大学の意向で3年目から偶然に、憧れのピアニストに師事することになりました。
この教授のおかげで、「心に鳴る音楽を思うままに表現できるようになる」という夢が叶いました。
33~42歳 ドイツ時代①
- ドイツに転居、社会人学生として同じ教授に引き続き師事
- 音楽大学声楽科伴奏講師就任
- 夫と知り合い同棲、結婚
- 翻訳を開始、現在も継続中
- 40歳頃~52歳 カップル対象のメールカウンセラー
- 夫の夢を叶えるため、日本に移住
伴奏講師は、私にとって夢の職業でした。
大学の仕事で研究職ビザも取得でき、自力で達成したプライドがありました。
しかし実際には、講師業は収入が少なく、かなりの時間をアルバイトに費やしました。
それで、時間と共にスキルアップできることがしたいと思うようになりました。
翻訳は前から興味があり、勉強したこともありました。
幸い夫がプログラマーだったので、夫のサポートを受けつつドイツ語翻訳の仕事を始めました。
ポイント
ドイツ人の夫との出会いは、人生で一番大きな転機でした。
いつも私を理解しようとし、応援してくれるありがたい存在です。
これで「心を許せる人と人生を共にする」夢が叶いました。
音楽大学の仕事は、緊張の連続でした。
また教授の求める伴奏者の役割と、契約上の職務内容とにずれがあり、負担が増える傾向にありました。
予算削減で、勤務時間数も削減されました。
夫の長年の夢だった日本移住を決めたのは、そんな時です。
42~47歳 日本時代
- 主に翻訳に従事、他にピアノレッスンおよび伴奏
- ドイツの音楽大学を辞職
- 契約社員として事務、翻訳チェックなどに従事
- サロンコンサートを数回企画、演奏
この時期は、私たちにとって試行錯誤の時期でした。
夫は日本の会社に入社しましたが、社風が合わず、結局ドイツの会社に戻って自宅勤務しました。
実際に日本で生活してみて、私も夫も、夢と現実の溝が埋められて良かったです。
43歳の時、元の生活に戻るつもりでしたが、身体に強い抵抗感を覚え、手続きが進められなくなります。
何度も夫と話し合った末、ドイツ行きを中止しました。
休職していた音楽大学の仕事も、この時に辞めました。
今まで積み上げてきた実績を失った喪失感と共に、深い安堵を覚えました。
そして今までの人生を振り返り、心の問題について情報を集め、考えるようになりました。
47歳以降 ドイツ時代②
- 初めての都市に移住
- 室内楽ピアニスト、劇場の伴奏ピアニスト代役を務める
- 50歳~58歳 音楽教室ピアノ講師
- 50歳~52歳 日本語補習教室小学部講師
- 合唱活動を始める
- 55歳 HSPであることがわかる
夫の仕事の関係で、現在地に引っ越しました。
初めは知り合いもほとんどなく、社会との接点が少なくて不安でした。
年が経つうちに、社会にも徐々に根を下ろすことができ、今ではここの生活がすっかり気に入っています。
それまでアマチュアとして音楽するのは控えていましたが、知人から合唱が楽しい話を聞き、私も始めてみました。
今ではコンサート、オペラ、八重唱と活動の場所が広がっています。
HSPだとわかって良かったこと
- 他人の理解が進んだ
- 親と心理的に適切な距離がとれるようになった
- 自分の頑張りを実感して、今までの人生が肯定できるようになった
- 劣等感が減った
自分の特徴を認めるにつれて、むしろ他人が自分とは違うことに気づきました。
親の問題が見えてくると同時に、私の周りの環境、その中でがんばってきたことも見えてきて、過去の自分を認められるようになりました。
HSPの特質を生かしながら、与えられた環境で仕事してきたことにも気づきました。
今まで教える仕事が多く、割と良い反応を頂いていますが、仕事の前も仕事中も神経が張り詰めていて、後でどっと疲れます。
対人の仕事が向いているのか、いないのか、わかりませんでした。
それがHSPもHSEも強度だとわかり、納得できました。
今は自分の特徴を考慮して、生活を整えつつあります。
自分のことを知り生活に役立てよう
私の人生の特徴は、変化が多く、多くの方々に助けられたことかと思います。
そんな人生から、私が感じたことをまとめてみました。
- 事実は小説よりも奇なり
- 自分にとって大切なことを知ろう
- 悪い予感のする選択肢は避けよう
- 身体感覚は尊重しよう
- 親切な人には遠慮なくお世話になろう
- 行き詰まった時は、因果関係を忘れてみよう
- 年齢を重ねるほど自分らしく生きやすくなる
- エネルギーの湧くことを意識して取り入れよう
- 自分には正直でいよう
- 家計は把握・管理しよう
何が起こるか予測はできませんが、自分自身の価値観や考え方も変わるので、自分が将来何を考え感じるかも予測できません。
それでも、その都度自分が大切にしているものが、行動の選択基準になります。
悪い予感のする選択肢を避けるのは、チャンスに乗るよりも大切です。
私も後で振り返って、あの時に断って本当に良かったと思う出来事があります。
人が一人でできることには、限界があります。
親切で信用できる方々には、感謝してお世話になりましょう。
相手に直接お礼できないことがほとんどですが、その分他の人に親切にする動機になります。
年齢を重ねるに従い、自分や伴侶と向き合う時間が増えます。
自分らしく生きたい人には、チャンスの時です。
逆に、自分をごまかしてしまうと、だんだん辛くなります。
意欲の湧くようなきっかけ…人生観でも、人間関係でも、趣味でもいいですが、がないと、エネルギーが枯渇してしまいます。
おそらく寿命や健康を左右する、大切な問題なのではないかと感じています。
瞑想すると、心の動きに敏感になり、自分の思いを把握するのに役立ちます。ブレインダンプも、良いと思います。
まとめ:海外生活も色々あるけど、楽しいもの
最後に。
今は肩書もなく、成功を目指してがんばっていた昔の私だったら、恥ずかしいと思う状態ですが、肩の力の抜けた今が一番幸せです。
年を取るのはサプライズに満ちていて、予想外に楽しいものです。
以上『HSPは海外で生きやすい?海外生活をしているHSPさんの半生、体験談』と言う記事でした。
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